次回作映画脚本書いてるけど俺も結局、映画学校の元・漁師+ゴマスリ野郎等と同じ。
何の事はない、毎回同じ話同じ様な展開。これ仮に撮影終了して編集しても「洋平❗️これ前と同じじゃねえか❗️」とか言われそう。..まあ一応、違う話違う人が出ますけどね..
1人の人間が書いて作ったらそうそう毎回毎回見た事もない違う話になる訳もない。同じ様な話で同じ様な展開同じ様な仕上がりになるに決まってる。
元・漁師+ゴマスリ野郎等が何時も同じ映画な様に。でも特に元・漁師は厳しいよな。俺とかゴマスリ野郎とかはなんだかんだ言ってもこちょこちょ色々変えられるけど、あの元・漁師の作品は「海」「港」「漁師」は絶対に外せないから。
逆に言えば其処が強みでもあるけど、話はかなり最初から限定されてしまうよね。だってそうだろう。どんな話にしようとしたって「海」「港」「漁師」は絶対に外せないんだから、ストーリーとしてもその後の展開としてもある「限定」は必ずあるだろ。
まあ話としては色々あるにしても要は「漁」に纏わる「漁師」の話かな?と。..てか、それ以外には有り得ないレベルでそうだろう。
..それと違って俺とかゴマスリ野郎は多少縛りが緩いから自由にお話書き自由に展開、完成させるかというとちっともそうじゃなくて、ゴマスリ野郎は堤幸彦の出来損ないみたいな事ばかりやりたがり結果そうなってるし、俺は俺でちょっとづつ違うにしても毎回毎回同じ様な話で展開はやっぱりたけしの映画の影響が強い感じだ。
..だから結局「どんぐりの背比べ」。まあでも俺はこの「映画製作」という事を始めて気付いた事がある。「幸せとは何ぞや?」という事についてやっと何十年も掛けて謎が解けたんですよ。「俺には映画がある。」俺には映画があるという事が即ち「幸せ」なんだな、と。
..まあまたこういう事言うと強迫神経症の奴等が「そうはさせじ❗️」と色々仕掛けてくる気がするけど..
北條洋平