この写真の特養ホームで祖母は他界した。
しかも切ないのが、当時の私はこの特養ホームの前の特養ホームに祖母は居ると思ってて「おばあちゃんが死んだよ。」と、当時まだ存命だった母親から聞かされて話したら、もうとっくの昔にこの写真の特養ホームに移っていたという事。要は俺には何も知らせてくれなかったんだね..
..そのくせ?毎回毎回?と言ったらいけないの?..祖母の時も母の時も私の父親は骨壷を「お前(私)が持て。」と祖母のも母のも骨壷を俺に抱かせる持たせるのは、どういう意味か未だに分からない。聞いた事もないし..
..でも此所に来ても墓参り行っても毎度毎度思うのは思い出すのは、黒澤明の映画「七人の侍」のラスト、志村喬の台詞。
「また生き延びてしまった..」「見てみろ。勝ったのは俺達じゃない、百姓だ。」のあのラストシーン、早乙女が踊る姿。彼れが思い浮かび。
またテレビドラマ「必殺必中仕置屋稼業」のラスト、緒形拳の台詞。「無様に生き延びた俺たちは、無様に生き延びるしかない」のあの台詞を思い出す。
..無様に生き延びた俺は、無様に生き延び今日も毎日毎日車に撥ねられそうになりながら生き延びているけど「北條、お前のレゾンデートルは何だ?」と常に問われ、明確な答えが見出せずにいる..
..もう要はやはり世の中、世間的には「北條❗️お前はもう世の中に要らない人だから、早く死ね❗️」というイメージか..
北條洋平